「転機を越えて心機一転」

三瓶和寿(さんぺい かずひさ)
フリーランス・つどいグループ代表(千葉県)

私は現在54歳、全盲で精神障害を併せ持っています。

埼玉県立盲学校(現 埼玉県立特別支援学校 塙保己一学園)の理療科教員として勤務、全日本視覚障害者協議会(全視協)の会員として平和活動もしていましたが、精神障害を患い、休職後、2018年に退職しました。

2003年、ニューヨークの国連本部に核廃絶1万筆点字署名の目録を届けるという、貴重な体験をさせていただきました。その年の10月に行われた全視協 北海道大会でお披露目したのを懐かしく思い出します。

当時36歳、全視協役員を引き受け、仕事も含め充実した日々を過ごしていました。
ところが次の年、いろんなことに行き詰まり精神疾患を発症しました。長い闘病生活の始まりでした。

つらい時は仕事を休み、病気を治すことに専念しましたが、躁と鬱を繰り返しながら悪化していきました。本当にしんどい時は寝ているわけですが、家族や周りの人はその方が楽です。躁の時は、周りは大変で手に負えず警察のやっかいにもなりました。

支えてくださる人もいて、職場復帰も試みましたが身体症状も現れるようになり断念せざるを得ませんでした。

最近では鍼灸で精神疾患を治すというのも1つの大きなテーマになっていますが、当時は薬の服用が中心治療でした。こちらも具合が悪く、調べる元気もなく患者や家族のつながりもなく、ただ医師の言われるままに治療を受けていたというのが正直なところです。

2020年の10月に埼玉県から妻の実家がある千葉県野田市に引越しをしました。
野田には醤油でおなじみのキッコーマンがあります。実家に移り住むことができたのは、2つの大きな転機があったからです。

1つは、20数年勤めた県立埼玉盲学校を早期退職したこと、2つ目は精神科医を変えたことです。そのことが病気の好転につながりました。
現在も薬をのんでいて、8週に1度、埼玉医科大学病院に通っています。

実家の1階は義父(義母は施設入所)、2階は私たち夫婦とネコ3匹、基本的に食事は別ですが、夜9時から10時は義父との交流と称して晩酌を楽しんでいます。

引越しを機に、新しい仕事を始めました。でも、半分は今までの続きのようなものですが。

「フリーランス・つどいグループ代表」とありますが、1人で仕事をしています。
仕事をするには看板が必要なので、個人事業主として届を出しています。
2000年の少し前だったと思いますが、「つどい」という自分のホームページを立ち上げていましたので、その名前を付けました。

そのホームページを通してたくさんのつながりができました。
私は元々、パソコンは好きでした。
盲学校で「点字プリンターが動かない、どうにかしてほしい」「新しく機器を買ったがパソコンとつながらない」
「何とか期日までに動かさないといけない」と頼られ、自分でできなければ誰に聞いたらいいだろうか、自分のことなら「まあ、いいか」と思うことでも人に頼まれたら何とかしなくてはいけない、
そういう状況が大いに勉強になりました。

1年前に精神障害者であることを公にカミングアウトしました。私の体験が同じように苦しんでいる人のアンテナに届いて少しでも役に立てばと思います。
当事者として傾聴活動もライフワークの1つになっています。

全視協では、たくさんの具体的事例から学ばせていただき実践的に鍛えていただきました。
そのお蔭で年金申請はスムーズにできました。あまりあくせくせずに社会貢献ができているのはそのためです。

自分で一から考えて人のために何ができるのか、私なりに模索を続けていきたいと思います。

(聞き手 藤野様)

初版: 「点字民報 2021年9月号」(全日本視覚障害者協議会発行)に掲載。
改定二版: ユイマール編集委員の先生方の査読・編集を経て、同会機関誌 第7号に掲載。

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