近未来における新しい階級闘争とメディアの変容

デジタル改革について、多面的に考察してきた筆者は、牽連される現状でのメリット協調を注意深く分析してきました。
ノウハウを共有するツールとしての活用の可能性、人材のグローバルな交流の有用性を、その開発のプロセスをモニターする中で、非常に高い能力をお持ちのエンジニアの皆さんが、大変すばらしい働きをされ、その恩恵を享受することができ、さらには、20年足らずの間に飛躍的に発展する状況に、直感的に大きな地殻変動を予感してきました。

日本において、デジタル改革が今日にわかに進められようとする中で、そのことを受け止めきれない方が多い。
そのような雰囲気に、不安を感じ、「稚拙であってもかまわないので、持論を公表し、批判を仰ごう」と考え、紀行を続けてきました。

デジタル技術による、教育改革についての、私の文章に対し、デジタル技術のメリットだけを強調しすぎでは。とご批判をいただいたときは、「やはり、そう思われる方も多いのだろうな」と感じたものです。
一方、この度の、ロシアによるウクライナ侵攻について、「市民は無力なのだろうか」「このままで、いいのでしょうか?」と提起すると、「あなたのような論旨はロシアに水を向けることになる」といったモノトーンな批判が帰ってきて、非常に恐ろしい感覚を持ってきました。
わたしが交流を持つ、各界の方とのディスカッションを通し、一人の命も落とさないという、当たり前のせめぎあいが、あまり知られていないが、確かに存在することを知ったことは、言論人として、「一縷の望み」をつなぐ確かな手ごたえを感じています。

「今、激動のただなかにいて、近未来に何があるかをとらえてしまった自分にとって、「語る人」になることを心に定め、その論旨をコンパクトにまとめてみたのが、この文章です。
ぜひ、忌憚のないディスカッションを期待します

なぜ今、ウクライナ侵攻の報道と、デジタル改革に警鐘を鳴らすのか

近未来に訪れるであろう、新しい階級社会の形成–すなわち、高度な、メディア対応能力を持つものと、それ以外という、階級闘争の形が変わることを、皆さんに呈示し、認識を共有したいと願います。

  1. ウクライナが、戦果を挙げることが期待されているという大キャンペーンと、それに異を唱えることを全く許さない、モノトーンな状況は、
    日本が国際紛争にどう向き合うかのモデルケースとして、各界がきちんと議論、論点整理、総括することが必要だと考えます。
  2. 次に来る中国包囲網において、日本は、なお一層、このモノトーン化が起こることは明白だと感じます。
  3. ロシア・中国が国際的な影響を相対的に弱めることは、
    アメリカ・ヨーロッパを核としたグローバル資本主義を、貧国へ受け入れさせることを国際世論を醸成するプロセスなしで押し付けることになる可能性が高いと考えます。
  4. 「自由」、「民主主義」や「正義」」という言葉が、どのような意味を持つかを考える時、
    「誰にとっての」というキーワードを付して、再検討することで、今日的な、危うさが顕在化してくる。
    すなわち、世界の国々の、それぞれの国家や民族のためのものなのか、
    グローバル資本主義を統治する、新たな時代の「いわゆる世界国家」のリーダーのためのものなのか
  5. アメリカ・ヨーロッパの経済合理性による、いわゆるエリート優先国家像、が唯一の未来とされてしまい、
    メディア弱者が世論形成をしようとしても、
    「民主主義に反する、グローバル資本主義にもとる、危険な勢力」は、デジタル社会から抹殺され、
    残されるのは、ゲリラ的、無政府的手段しかないと思わせる巧妙な戦略があることをまだ誰も知らされていない。
  6. これからの世論形成は、週刊誌や、大手メガメディア(日本では電通など)に学びながら、
    「明快な論旨と、心打つ事実に基づく反論の余地のない、リアリズムの提示」へとシフトしていく。

以上のように考えています。

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