2022年1月4日
三瓶和寿 (いきづらさレポーター・ライター)
Kazuhisa Sanpei (Rporter and Writer in Difficulty in Living)
2021年から22年の年末年始は、私にとって、様々な気付きを立体的に結びつ行けることができた転機になりました。
今まで経験のない分野にあえてアンテナを伸ばし、自分自身が想像していた事柄を、もっと生の声を聴くことが意識改革のきっかけになるのではないだろうかと考えてきました。
自分の頭で考え、この道をと進も、そうならないことが多い。いなむしろ、思い通りにいかないのが当たり前。
そのような経験は、2004年10月に行き詰った時と本質的には何にも変わってこなかったのです。
一方、一人一人とリアルに結びつくことは何にも代えがたい財産でした。
時間的、空間的に場を共有することで、初めて見えてくることがある。
以前より、「何かもめごとが起きたら、逃げずに向き合う」というのが私の生きざまでした。
ただ、向き合って、解決しないときにその自分自身をどう評価し、どう次へつなげるかが大切になるわけです。
生き抜くために、「強くなる」ことが大切なのではなく、「状況に応じて柔軟に対処できること」だということは、様々なテーゼの中で語られています。
ただ、生きづらさを本人や家族が解決できないとき、「生きづらさの社会化」が必要であって、個人の能力を上げようと躍起になるのは全くアプローチが違うのではないだろうか
もう一度「生きづらさ」を当事者として掘り下げてみたい。と考えたのです。
自分が行き詰った時を振り返ると、その状況は、まさにハラスメントでした。
これを丁寧に振り返ると、一方的に「ハラスメント」を受けていたのではなく、自分もハラスメントをしたし、ハラスメントを受けたということ。
そして、ハラスメントをしたことは、記憶に埋もれ、ハラスメントを受けたことは記憶に残る。
このハラスメントの相互性をどう理解し、どう向き合うか。
そこで出会ったのが、「臨床の知」というテーゼでした。
この原稿を書いている時期、様々なことが起こり、これまでのよりどころがまったく通用しない時代になることが明らかになってきました。
私は、これまでの常識とされてきたことに、タブーなく向き合おうとする考え方が好きです。
本書をきっかけに、生きづらさを抱える当事者が、人生のどん底をどう過ごし、周囲がどう支え、本当に大切なことは何だろうかということを読者の皆さんと語り合うきっかけになれば心よりうれしいです。
テーマ ーー 弱視から全盲へ、精神障害を併せ持って今日を生きる。
- 上梓に当たって
- 筆者の今の生活ぶり
- [生きづらさ]の考察
- ハラスメントについて
- うつと向き合う患者・家族と周囲の理解
- 命を守るための大切な決断
- 再起に向き合う心構えと長期的な見通し
- 生きづらさを支える社会の枠組みを理解し、活用を自己決定する
- 今日の現状と課題への当事者としての認識
小林洋子です。パソコンでこれだけの操作ができること。そして内容がすごいです。まだ内容が具体的では無いので今からですか?これを友人に転送していいですか?
世界的なプログラマーの[なかじまさとし]さんのメルマガに私が質問し、2022年1月11日付で、それにコメントいただきました。以下に転載させていただきます。
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次の質問です。
以下の記事を書きました。
よろしければご感想をいただければありがたいです。
https://tudoi.biz/ikizurasa-harasumento-toujisha/
情報の発信をすることは、「自分の考えをまとめる」というだけでも大いにプラスになるので、最初は読者が増えずとも、あまり気にせずに続けることをお勧めします。ブログなどを書くときの指針はさまざまなものがありますが、私は「自分だけが書けることを、誰にでも分かりやすく伝える」のが一番良いと考えています。
ちなみに、文章中に「臨床の知」という言葉が出て来たので、少し調べてみましたが、言い出した人が哲学者なためか、私にはなかなか理解出来ませんでした。「人間の心が絡んだ場合には科学的なデータだけではすべてを把握できない」という指摘はもっともだと思いますが、その後の議論があまりにも抽象的で、どう活用すべきかが見えて来ないのです。
まさにそれこそが、科学者と哲学者のすれ違いを表しているようにも思えます。ちなみに、Facebook や Ticktok がやっていることは、まさに人間の心の動きをデータ化した上で、人の行動を操ることであり、その技術が、心の病を持つ人の治療や、病人の心のケアに応用できたら良いなと思います。